あと何回
あと何回、爪を切るのだろう
あと何回、髪を切るのだろう
あと何回、食事をするのだろう
あと何回、牛乳パックを空けるのだろう
あと何回、煙草を吸うのだろう
あと何回、呼吸をするのだろう
あと何回、眠りに就いて
あと何回、目を覚ますのだろう
常識、非常識
昨日はバーでお酒を飲んだ。
酒は常識のタガを外してくれる。
酒に酔うような、麻薬に酔うような、
夢を見ているような、そんな音楽を作りたい。
非常識の肯定。常識からの解放。
人は産まれたときは感情のカタマリだ。
育っていく過程で社会と触れ合い、
言葉を覚え、論理を覚え、常識を覚えていく。
そういった「理」の存在は本来人間にとって不快なものである。常識とは不快なものである。
しかし社会生活を営む上で常識を持っていなければならない。これは負担である。つねに常識によって抑圧されているわけである。
そこでガス抜きのために非常識の部分を解放してやる必要がある。
その為に、芸術、芸能、スポーツ、酒、夢、ドラッグなどが存在する。
音楽をはじめとした芸術作品を作ることによって非常識の解放がしたい。
最終的には言葉すらも捨てたい。
言葉以前のコミュニケーション。
赤ん坊が全身を使ってオギャアと泣くような。
非常識の解放とコミュニケーション、それを求めている。
世界の解釈
本を読まなければならない。
詩を読まなければならない。
映画を観なければならない。
人と話さなければならない。
言葉が足りない。言葉が欲しい。
自分を表すための言葉が。
自分を理解するための言葉が。
世界を表すための言葉が。
世界を理解するための言葉が。
真の理解なんて本当はどこにもないのかもしれない。その時その時の解釈があるだけなのかもしれない。理解ではなく解釈だけがある。
何が本当で、何が本当でないか。
何もわからない。何もわからないままに生きていくのか。何もわからないままに死んでいくのか。
わかりたい。理解でなく解釈で構わない。
自分なりの解釈が欲しい。自分を納得させるだけの解釈が欲しい。
この感覚はいつまで続くのか。
この感覚はどこまで付いてくるのか。
わけがわからなくなってしまいたい。
体液
体液が滲む
血液 精液 涎 涙
体液が漏れる
血液 精液 涎 涙
体液が滲む
血液 精液 涎 涙
体液が漏れる
まだ生きている
鮮度
眠れない夜、文章を書く。
思いつくままに、雑然とした文章を書く。
内容は次の日になればもう覚えてない。
感情はナマモノである。鮮度が失われないうちに作品に閉じ込めなければいけない。
記憶の鮮度。時間が経つにつれて記憶の鮮度は落ちていく。記憶が薄れる。曖昧になる。消えていく。残るのは印象として感じた感覚のみ。
記憶はどこへ行くのだろうか。
記憶はどこへ行くのだろうか。
頭の中に仕舞われているのか。
思い出そうとすら思えない些細な記憶。
どこへ行ったのだろう。
感情や印象を伴わない記憶は頭の引き出しの奥底へ追いやられていくのだろうか。
忘れたくない。失いたくない。そんな記憶が徐々に薄れていくこのもどかしさ。抗えない。
日記をここしばらくつけていなかった。
再開しよう。少しでも記憶を留めておきたい。
小さな抵抗。
さむざむ
寒いのは苦手。
暖かい方がいい。
肌と肌が触れ合った時の温もり。
心と心は触れ合えないまま。
心は寒々としたまま暖かくはなってくれない。
触れ合いたい。心と心で。
融けあいたい。身体も心も。
誰かと一緒にいてもいつも孤独を感じている。
互いに笑いあう。
通じ合わないまま。触れ合わないまま。
心の中はいつだって寒いまま。
尊い
何も考えないこと。
それはとでも尊いことである。
故に動物は尊い。植物は尊い。
人間だけがあれやこれやと考えを巡らせて余計なことにあれやこれやと手を出し続ける。
人間にあるのは知性ではない。好奇心である。
知性があるのならば、文明・科学の進歩をある時点でストップすることができたはずである。
しかし人間が持っていたのは知性ではなく好奇心。好奇心には限界がない。好奇心を止めるものは恐怖心だけ。その恐怖心は過去のデータでしかない。ここまで進歩する必要は果たして本当にあったのだろうか。誰しもがよりラクに、より早く、より大量に、より便利に、、、といつた願望を持っている。そしてそれが人類全体が持つ願望でもあり文明の進歩をここまで推し進めてきた。どこかで歯止めをきかせるときがいずれくる。そうでなければこの星の寿命をどんどん縮めていくだろう。人間は愚かだ。
動物はただ生きている。
この"ただ生きている"という生き方がどれだけ素晴らしいか。どれだけ尊いことか。
ただ生きるだけ。余計なことは何もしない。
暇に耐えることができる。動物は偉大だ。
動物のように、植物のように、昆虫のように、
ただ生きるだけの生き方がしたい。
石ころのように、ただそこに在るだけの在り方でいたい。