与太話

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不思議

歯磨きをする。歯ブラシを口に咥える。

視界の真ん中にこの身体のこの口から伸び出る歯ブラシが映る。

これだけのことが不思議でたまらなくなる時がある。

見えるとはどういうことか。

在るとはどういうことか。

この視界に映るこの手は一体なんなのか。

この手はなぜ思った通りに動かすことができるのか。

私とはなんなのか。

これだけのことが不思議でたまらなくなる時がある。

短歌

Twitterで呟いた短歌をまとめました。

 


お気に入りの靴の左右を履き違え
なんとなく脚をクロスしてみる

 


人生にスリープモードがあればいい
ただの睡眠とはまた別に

 


庭の湯船に浸かり、ひと呼吸、
伸びる波紋は世界の果てまで

 


「じゃあまたね」あの日交わした約束は
君が何処かに消えて破った

 


もうこない「またね」の「また」を待ち続け
僕が死ぬまで君は嘘つき

 


夢に見る そのあいだだけ許される
あの日と変わらぬ君との再会

 


すれ違う 道行く老婆の顔見れば
生きた証か 美しき皺

 


ドトールで ブレンドコーヒー 飲みながら
タバコの煙吐き 「またこの曲か」

 


ふぞろいの色鉛筆の山脈は
お気に入りから順に消えてく

 


眠れずに時計の音に耳澄まし
チクタクチクタク… 雀が鳴いた

 


22年前に産まれたその前のことを聞いても実感は無し

 


頭まで毛布をかぶり 一日の溜息あつめ花束にする

 


真夜中の僕対僕のお喋りは
哲学書を紐解いてくように

 


部屋の中 止まったままのこの僕を
何処からともなく明日が襲う

 


昨日今日明日明後日明々後日
何処から来るのか 何処へ行くのか

 


友達の友達の友達の友達の友達は僕には他人

 


吊り革を掴んで眺む街は夜
窓に映るは痩せぎすな腕

 


大切ななにかを探す人に問う
「それより僕と踊りませんか?」

 


プレゼントボックスの中は空っぽで
僕の〈身体-心〉とおなじ

 


ひとりきり帰る真夜中の 遊歩道
湿った土と落ち葉の匂い

 


このあいだ 香りで街中色付けた
金木犀がもう懐かしい

 

 

 

 

無題

抑鬱症状の大きい波がぶり返してきてる。自己無価値感がすごくある。

幸福=超主観=盲目的な生き方をしたい自分と、不幸を背負い続けながらでも哲学をしながら超客観で真理・本質を知りたいという生き方をしたい自分とで葛藤がある。乖離している。

仮に本当に神様のような存在がいるとして、死以外に生からの逃げ場を作ってくれなかったのは明らかな設計ミスだと思う。強いて言えば睡眠か。

自己肯定感の無さがいつまで経っても拭えない。

岡本太郎がニブいやつだけが幸せだと言っていたけど、 今はそのニブさが心底羨ましい。

居場所がない。どこにも属せない。何をしていても冷めた目で上から自分を眺めている自分がいる。熱くなれないしのめり込めない。熱くなりたいしのめり込みたい。

別に死にたいとは思わない。死にたいが嘘であることは身をもって実感している。ただ、生きていたくもない。いつまで生き続ければいいのかを考え出すと気が狂いそうになる。しかもいずれにしても死は確実にやってくる。気

晴らしだけで人生を埋め尽くしたくはない。

自分の作った曲に『繰り返す』という曲がある。"夜は必ず明ける 陽はまた必ず沈む"って歌ってる。この抑鬱症状からぬけだしたところでいずれまた同じ苦しみの中に沈んでいくだろうし、これは死ぬまでずっと続くんじゃないかという気もする。

死だけが生=苦からの唯一の逃げ道なのかな。

いまのところ"そもそも生まれてこない"よりもベストな答えに行き着いていない。子供を生む=新しい生命を誕生させることはとんでもないことなのにどうしてみんななんの疑いもなくポンポン子供を産めるのか。

いまはとにかくつらい。はやく抜け出したい。逃げ出したい。逃げ場がない。虚しさばかりで精神が埋まってる。

NUMBER GIRL『MANGA SICK』

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ナンバーガールの『MANGA SICK』という曲。

 

彼女が一番スキなのは 漫画の雰囲気だけだった 

 

まだ異性と付き合うという経験をしたことがなかった頃、思い描く恋愛の形はおそらく小説や映画や漫画の中で描かれる恋愛模様だったと思う。

そこに描かれている甘酸っぱさやときめきなどの感覚を、第三者の目線で覗き、それを見ている自分自身をその登場人物に投影して「自分もこんな恋愛をしてみたい」と考えてみる。

だが実際に自分が恋愛を行う当人になってみると漫画でみた理想の恋愛とはなにかが違う。相手の存在が100%自分にとっての理想でない場合もある。自分が漫画の主人公のようにうまく立ち回れるわけでもない。一人で静かに過ごしていたいと思っている時にむこうから連絡が来たり…。

 

「理想」はいつだって美しく描かれる。その「理想」の持つ完全な美しさに「現実」の美しさは叶わない。自分の恋愛に「理想の恋愛」(=漫画の恋)を望んでしまと、どうしても実際の「現実の恋愛」はツマラなく感じてしまう。

そして過ぎ去った「現実」は「記憶」となって、”「記憶」はいつか「妄想」に変わる”(ナンバガの歌詞によく出てくるフレーズ)

 

彼女は願っている 漫画の恋をしていたい 気分の中で生きていたい 愛してるって誰にいいたい?

 

このように歌詞の中では最終的に”漫画の恋をしていたい”といって、「現実の恋愛」に見切りをつけ(?)、”愛してるってだれにいいたい?”という問いかけで締められる。

 

倉橋ヨエコ『今日も雨』

 

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倉橋ヨエコを好きになったきっかけの曲。

倉橋ヨエコについては以前から名前と「暗い歌を多く歌っている」というようなことだけを聞いたことがあっただけで、楽曲自体は聴いたことがなかった。

何がきっかけでこの曲にありついたかは覚えていないが多分YouTubeの関連動画の中にあったのがたまたま目についたのだろう。たぶん。

 

 

真実は明日も私をきっと泣かせるだろう

 

 

でも飛び出して行こう

待ってる人はいないけど

泣き止んでみても 外はもっと雨

そんなもんだろう

 

 

この”そんなもんだろう”というフレーズに、とても救われる想いがした。

人生は理不尽だし、不条理だし、つらいことも多くある。それでも生きていくためにはそういったものと真剣に向き合って前に進んでいかないといけない。そうしたなかで一筋の光と言うか、ひとときの幸福を得られたとしても、その先、その周りではより辛い現実が待っている。多分それが人生というものなんだろう。真実を知ろうと思ったらそういう不幸を諦めて受け入れていくしか無いんだろう。

 

そんなもんだろう。